魏志倭人伝に記述されている邪馬台国の女王の「卑弥呼」は高齢で夫はいなく独身である。

 世間一般的には、此のように理解されている方が多いのではないでしょうか?
どうしてこのように解釈されてるのでしょうか?
たぶん次の箇所の漢字からそのように解釈されたようですが、
果たしてその解釈で間違いないのでしょうか?
では、わかり易くこの箇所の漢文を私なりに解釈していきます。

名日卑弥呼 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國 
名は卑弥呼と言う。年齢はすでに長大。

    (年已長大) は高齢である。と翻訳されている方がいますが、たぶんの漢字から年食っていると勘違いしてるのではないでしょうか。

ここに書かれている漢文(年已長大)を細かく解説しますと、

→ここでは年齢を指してます。
→すでに
長大→長は成長の長、育つ。
大は大きい、大人。
成長して大きい

年はすでに大人(成人)である。



名日卑弥呼 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國 
ここに書かれている漢文(無夫婿 有男弟 佐治国)を細かく解説しますと、
夫婿→夫、
男弟→弟
→補佐、助ける、手伝う
治国→国を治める政務


この漢文では「無い何々、有る何々」の構文になっています。
「何々はないが、何々は有る」


なので、魏志倭人伝に書かれている
 無夫婿 有男弟 佐治國 は、
「夫はいなく弟がいて」国を治める手伝いをしている。
と翻訳されていると思いますが、
この訳では、文章的におかしくないでしょうか!何か違和感がありませんか?
普通にこういう言い方するでしょうか?
卑弥呼の年齢はすでに(大人)成人である。夫はいないが弟はいる。
前の夫と後の弟の文脈が合ってません。
例えば、「兄はいないが弟はいる」のように前と後の文脈が繋がっていれば違和感がありませんが、、、
無夫婿 有男弟 佐治國 
この箇所の解釈は、夫はいなく、弟あり
ではなく、佐治国が無夫婿、有男弟の両方の目的語になっています。
わかり易くする為に次のように書き換えるとわかり易いと思います。

無夫婿佐治国、有男弟佐治国

この漢文を翻訳すると、
夫は政治には関わらず、弟が政治に関わっていた。
と成り、夫がいた、いないではなく、
政治の手伝いは夫ではなく、弟が政治の手伝いをしていた。
なので、下記の漢文

名日卑弥呼 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國 は、

「名は卑弥呼と言う。年齢はすでに成人(大人)。国を治める佐(たす)けをしているのは夫ではなく、弟である。」
中国側から考えれば普通は王が女性ならば、国の治国の助けは、旦那がするのが一般的であるが
夫ではなく、弟が国の治国の助けをしてると書いた。

なので『卑弥呼の夫ではなく、弟が国を治めるたすけをしている』となり、
夫は政務に携わっていないとなります。


卑弥呼に夫がいたのか?いなかったのか?
実際はどうだったのでしょう!


以上